気の向くまま
『昔、探し』NO,30
昭和40年代、正直屋も着物屋に変わろうとしていた。それまでは総合衣料品店だった。着物はウールや綿。毛糸、布団、肌着、学生服などの雑貨。本格的に絹(シルク)製品を扱いたいと初代奥田正直が「I問屋」に伺った。『あなたの店は私共の様な所とおつき合いする様な店ではない』と断られたそうだ。親父の代には取引先になったがそんな時代もあった。名古屋の長者町繊維街、この20年の間にたくさんの問屋さんがリタイヤした。
昭和40年代、正直屋も着物屋に変わろうとしていた。それまでは総合衣料品店だった。着物はウールや綿。毛糸、布団、肌着、学生服などの雑貨。本格的に絹(シルク)製品を扱いたいと初代奥田正直が「I問屋」に伺った。『あなたの店は私共の様な所とおつき合いする様な店ではない』と断られたそうだ。親父の代には取引先になったがそんな時代もあった。名古屋の長者町繊維街、この20年の間にたくさんの問屋さんがリタイヤした。
昭和40年代、正直屋も着物屋に変わろうとしていた。それまでは総合衣料品店だった。着物はウールや綿。毛糸、布団、肌着、学生服などの雑貨。本格的に絹(シルク)製品を扱いたいと初代奥田正直が「I問屋」に伺った。『あなたの店は私共の様な所とおつき合いする様な店ではない』と断られたそうだ。親父の代には取引先になったがそんな時代もあった。名古屋の長者町繊維街、この20年の間にたくさんの問屋さんがリタイヤした。